山口素堂関連エントリー

萵苣 チシャの語源 レタス

... 山口素堂(江戸中期に俳人 芭蕉と親交があり 葛飾風の祖とされている)の句に、 『春もはや山吹白く苣苦し』 があります。 キク科アキノノゲシ属だけあって この頃の萵苣はかなり苦かったようです。 ...

萵苣 チシャの語源 レタス

山梨県歴史誤伝の数々「山口素堂」にみる。

... 甲斐の古代 2)甲斐の中世 3)甲斐の近世 4)武田信玄・武田三大事跡 5)山本勘助と甲斐 6)松尾芭蕉と甲斐谷村 7)山口素堂と甲斐 8)市川団十郎の初祖 9)柳沢吉保と甲斐 10)甲斐の御牧 11)甲府勤番士 などなど、誤りがいっぱい。 ...

山梨県歴史誤伝の数々「山口素堂」にみる。

私の好きな山口素堂

◆http://homepage3.nifty.com/hakushu/perm-ex.htm

私の好きな山口素堂

山口素堂著「芭蕉庵六物」

素堂は芭蕉が残した遺物について記述した。 これを見ても、素堂がいかに芭蕉のことを思っていたかが理解できる。 <図版資料>

山口素堂著「芭蕉庵六物」

山口素堂とは?

山口素堂(やまぐち そどう、寛永19年(1642年) - 享保元年8月15日 (旧暦) 8月15日(1716年9月30日))は、江戸時代前期の俳人・治水家。本名は信章。通称勘兵衛。
生れは甲斐国で、家業は甲府魚町の酒造家。
20歳頃で家業の酒造業を弟に譲り、江戸に出て漢学を林鵞峰に学んだ。俳諧は1668年(寛文8年)に刊行された「伊勢踊」に句が入集しているのが初見。1674年(延宝2年)京都で北村季吟と会吟し、翌1675年(延宝3年)江戸で初めて松尾芭蕉と一座し以後互いに親しく交流した。晩年には「とくとくの句合」を撰している。また、治水にも優れ、1696年(元禄9年)には甲府代官櫻井政能に濁川の治水について依頼され、山口堤と呼ばれる堤防を築いている。

山口素堂の詳細