阿南惟幾関連エントリー

松岡利勝・阿南惟幾・栗栖赳夫

... 松岡氏は1945年の敗戦時に割腹した阿南惟幾陸軍大臣以来の現職閣僚自殺という。でも一緒にしたら阿南は怒って化けて出そうだ。宮城事件など一部の跳ね返りを身をもって防いだオレと一緒にするなと靖国から叫び声が……。 ...

松岡利勝・阿南惟幾・栗栖赳夫

「一死、大罪を謝す 陸軍大臣阿南惟幾」

「一死、大罪を謝す 陸軍大臣阿南惟幾」 角田房子 *帯より 1945年8月15日、大日本帝国最後の陸軍大臣は、一切を語らず自刃した。 ... 一死、大罪を謝す―陸軍大臣阿南惟幾 角田 房子 PHP研究所 2004-08 売り上げランキング : 99,773 Amazonで ...

「一死、大罪を謝す 陸軍大臣阿南惟幾」

阿南惟幾 (3)

2006年09月26日 阿南惟幾 (3) 「阿南惟幾大将を陸軍大臣として頂きたい」 海軍出身の老宰相が真っ先に陸軍へ仁義を切りにきたことを ... そして、その半年後、阿南惟幾陸軍中佐が侍従武官として宮城に入り、2人は同じ釜の飯を食べる ...

阿南惟幾 (3)

阿南惟幾 (2)

2006年08月29日 阿南惟幾 (2) (承前) 1945年(昭和20年)春、既に日本の敗色は決定的だった。米軍の沖縄上陸を受けて小磯國昭内閣が瓦解したのち、次の総理大臣に誰を据えるべきか、重臣達は頭を痛めていた。 ...

阿南惟幾 (2)

[雑感][時事]南原繁・阿南惟幾・靖国神社

以前にも書いた南原繁についてのシンポジウム@安田講堂に行きたかったのだけれども、申し込んだらキャンセル待ち番号1700番代後半(これはキャンセル待ちの人間が1700人いるということなのだろうか?だとしたらすごい)だそうで ...

[雑感][時事]南原繁・阿南惟幾・靖国神社

阿南惟幾とは?

阿南 惟幾 (あなみ これちか、1887年2月21日 - 1945年8月15日) は、終戦時の陸軍大臣。大分県竹田市出身。東京府に生まれる。鈴木貫太郎総理大臣とは、以前に侍従長と侍従 侍従武官の関係だった時期がある。
大東亜戦争末期、梅津美治郎参謀総長とともにあくまで本土決戦を唱えるが、昭和天皇の終戦の意志が固いことを知り、最終的には終戦に同意。軍事クーデターをほのめかす部下の軽挙妄動を戒めながら、8月14日夜、ポツダム宣言の最終的な受諾返電の直前に陸相官邸で自刃。介錯を拒み、翌15日朝絶命。「一死をもって大罪を謝し奉る」との遺書は有名。
長男早世、次男惟晟(陸軍少尉、昭和18年戦死)、三男惟敬(元防衛大学校教授)、四男惟正(元新日本製鐵副社長、靖国神社氏子総代)、五男惟道(野間家へ養子、元講談社社長)、六男阿南惟茂 惟茂(元駐中国大使)。

阿南惟幾の詳細